文化・芸術

2006.09.25

違いは違うってことだけ

ハワイの友人の所に行った時、ある晩、友人の家族が一緒にコメディ・ショーに連れて行ってくれた。名前は覚えていないけれど、地元ではわりと有名なコメディアンらしい・・。

その時の彼のネタは、ハワイに住むいろいろな国から来た人々の習慣の違いについてでした。日本、韓国、中国、フィリピン・・etc.。

他の国の事はあまり覚えていないのですが、日本人の団体旅行者の様子、ガイドさんの旗、眼鏡とカメラ・・・。笑うときに口元に手を当てる習慣。他にも、ちょっと、ここでは書けない行動・・。

もう、苦笑いするしかないって感じでした。

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それを見ながら、思ったことは、アメリカの習慣は其処では披露されませんでした。自分達の事は見えにくいのか、当たり前の習慣だからネタにはならないのだろうか・・。

もうひとつは、「これって悪いことなの?」と言う問いでした。この時のコメディアンも、これを否定的に捕らえてきたわけでなく、違いを面白く表現していただけです。お笑いの人たちが、日常の生活を面白くコントで表すのと同じです。

中には、人に迷惑をかける行動もありますから、変えていく必要があるものもあるでしょうが、手を口元に当てて笑う日本の習慣、韓国語の強いngの破裂音、(これは覚えていました)などは、悪いことでも何でもない・・。

ただ、違うだけなのだ。

以前、韓国にいた時にも、パキスタンのルームメイトとの生活で葛藤があった。しかし、違いは悪いことではなく、ただ違うだけなのだと理解した時、とても楽になりました。

相手の行動や、何故そうするのかを全て理解することは出来ないかもしれないし、多分自分は同じようにはしないだろう・・・。しかし、自分と同じ考えでない相手が悪いのではなく、ただ違うだけなのです。

 
逆に、外国人なら違って当たり前と受け入れることができても、日本人同士では違いが受け入れられないと言うことも起ることもあるようです。私は基本的には、外国人でも日本人でも同じと思っています。違う意見があって当然で、それを正しく議論する時、さらにより良いものが生まれてくると思うのです。

ただ、自分も含めて多くの日本人は議論が上手じゃないように思う時があります。だから事柄に対する意見交換じゃなくて、相手を否定してしまうようなことにもなってしまう。

私のブログ仲間の皆さんから、はいつも励ましや参考になるコメントを頂いて、とても有難く思っています。

以前、アメリカの子供達(小学校低学年だったように記憶しています)に、「xxxをどう思うか」と言う質問に、次々と I think・・・と、自分の意見を普通に語っていたのをテレビで見たことがあります。

意見交換を上手に出来るようになりたいものです・・。

 
J0182854  

 

 

 

 

 

 

                  
 

私の口のことばと、私の心の思いとが

 御前に、受け入れられますように。

 わが岩、わが贖い主、主よ。

    詩篇19:14

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2006.03.31

韓国の思い出 3

今日は、二人の韓国の男性を紹介したいと思います。と言っても、ヨン様たち韓国スターではありません。私の思い出に残っている人たちですが、通りすがりの人ですから、名前はもちろん顔すらよく覚えていません。

1980年、夏だったと思います。学生たち何人かで旅行しました。旅先で、出会った大学生の言葉・・・「日本はあんなに悪いことをしたのに、何故、神さまは日本に今日のような繁栄を与えられたのか、どうしても理解できない。」・・・。

当時、日本はエコノミック・アニマルと言われ、高度の経済成長を遂げていました。

19805_001日帝時代の歴史は知っていた。
彼が、彼が何故そう言うのかを理
解しながら、「神さまは、何処の国
の人も偏り見ることはしないと思い
ます。 確かに、経済的には豊か
になったかも知れませんが、心が
豊かになったとは言えないです。
人が幸せになるのは、多くの物を
持つことによってではない事を、いやむしろ、物が豊かになった事で、大切なものを失っていると、人々は実感し始めていると思います。 どうぞ、日本のために祈ってくださいね。」と、答えました。

彼は、それ以上何も言いませんでした。この時、私が学んだことは、神さまの愛はすべての人に注がれている・・。ダニエルを殺そうとした彼の家族でさえも・・。

私は、この青年と同じような質問を神様にしたことがあった。「神さま、何故こんなひどい人(事)を、そのままにして置かれるのですか?」と・・。

でも、同じ言葉が自分を含め日本に向けて突きつけられることは、想像もしなかった。第三者になって批判するのは容易い、しかし、自分も同じように人を傷つけているのだ・・・。

     わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。

          ――神である主の御告げ。

             エゼキエル18:32

19805_001_18_2 二人目は、タクシーの運転手さん。

ある日曜日の夕方、別の教会の夕礼拝に行こうとタクシーに乗りました。行き先を告げると、自分もそこの教会に行ってるということだった。私が日本人だとわかると、「今日、日本人の観光客を10回程、買春宿(別の言葉で言っていたが)に乗せて行ったよ。」とのこと。

当時は、日本男性の韓国旅行で、この事が大きな問題になっていた。今もカンボジアやタイで同じ問題がありますが・・。

「ほんとに、ごめんなさい・・・。心が痛みます。」と言うはずだった・・。でも、私が言った言葉は「お腹が痛いです・・・。」(>_<;) 

びっくりした運転手さんは、「大丈夫か?」と・・・。なんとか説明してわかってもらえたようでした。彼は「こんな日本人には初めて会った。」と言って、おつりを渡す時、私の手の甲にチューをしました。びっくりした私は、帽子を車に忘れて、飛び降りてしまいました・・・。

韓国の思い出は、又、思い出して、書きたくなったら乗せます。

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2006.03.30

韓国の思い出 2

1979年5月になって、ようやく新しい校舎と寮が完成し、引越しが始まった。それと同時に私のバスとの格闘も終わった。

寮は2人部屋で、私のルームメイトはパキスタンから来たエステル。彼女の家族はクリスチャンでしたが、イスラムの社会で、女性が海外で教育を受けると言うことは、よほど家族のサポートがないと難しい。

彼女の国では、Yesは頭を横に振り、Noは縦に振る・・。紛らわしいので、言葉をつけて言うように、教授に言われていた。^ ^

19795_001_3_1  彼女は、前列でグレーの洋服の女性。ここで多くの異なる文化の人たちと暮らして、一番感じたことは、“どちらの習慣が良いとか、悪いとかではなく、ただ違うと言うことだけ。違いは悪いことではなく、ただ、違うだけなのだ。”と言うことでした。

それだけに、言葉で伝えないとわからない。慣れてない私が、黙ってしまうと質問の嵐・・・。ウゥッ!(泣) どうしてわかってくれないのョ!・・・無理な話です。彼女にとってもこんな状況は初めてでしょうから・・。自分の考えを言う訓練をされました。(誰ですか!?訓練されすぎたって言ってるのは・・・?)

もう1人、私の右にいる(向かって左)青いシャツを着た男性を紹介します。彼の名は、ダニエル・バンバン・ドゥィ・ビアントロ、インドネシアから来ました。彼の家族はイスラム。彼がクリスチャンになった時、彼は家族から殺されそうになりました。その時、怪我をした足は、まだ完全に治ってはいませんでした。今まで話には聞いたことはありましたが、実際にそんな経験をした人を目の前にして、驚きでした。彼は現在はアメリカにいます。

私が住んでいた79,80年代は急 19795_001_4    
速に近代化が進んでいました。 
赤土の開墾された丘に、広い道
路が建設され、町が作られて行
くのですが、まず教会が建てられ
、そして回りの家々が建てられて
いきました。

右の写真は、私が通っていた教会
ですが、まだ始まって2年目、工事中でしたが礼拝には200人くらい集まっていました。バス停から教会までの道は、まだ出来ていませんでした。人の歩いた後が道となり、雨の時は川となり、靴を泥だらけにして教会にたどり着いたものでした。

今は、ここもにぎやかな若者たちの集まる町になっているようです。今行ってもわからないでしょうが・・・。

楽しかった事も沢山ありましたが、辛い時もありました。でも、それらすべてが、私を育ててくれたと信じ、感謝しています。

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。

             箴言27:17

                As iron sharpens iron,

So a man sharpens the countenance of his friend.

              Prov.27:17

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2006.03.29

韓国の思い出 1

1979年、私が韓国に渡った年です。改めて月日の経ったのを感じています。当時の韓国は、朴大統領による軍事政権の只中、夜間外出禁止令のある頃で、夜中の12時から朝4時までは外出できませんでした。

外国人の場合は尋問されますが、基本的にはエスコートしてくれます。しかし、韓国民は罰せられましたから、夜の12時近くになると、タクシーも自分に家に12時までに帰れる場所でないと乗せてくれませんでした。

その頃、金大中氏が日本で拉致され、光州という所で、学生たちのデモが起こり、多くの学生たちが死ぬと言う事件がありました。

19795_001_1_1  当時は、町で目立つ建物は教会でし
 た。左の写真は、もちろん、デジカメ
 などありませんでしたから、普通の
 写真を携帯のカメラで取り直したも
 のです。学校の寮の窓から見えた
 教会の建物です。

 朝4時になると 、あちこちの教会から鐘が鳴り、暗い中沢山の人々が、あちこちから祈るために集まりました。

最初の1ヶ月、寮が開いていないで、知人の家からバスで通学しました。そのバスが、ホントにオンボロ(失礼!20年以上前のことですから・・・)で、座席のシートが外れてたり、破れていたり・・・。でも、そこに乗っている人たちは素敵でした。学生たちは分厚いカバンをかかえ(当時の日本の高校生の間ではぺしゃんこのカバンが流行ってました。)ているにもかかわらず、年長者が乗ってくると席を譲るのです。そして、当たり前のように座った彼らは、学生たちのカバンを膝に乗せてあげるのです。

バスには本当に苦労しました。 19795_001_2_2
まずバス停が、なかった。いや、あったのだけれど、そこに止まらなかったのだ。5~6mはザラで、ひどい時は10m以上先に止まるのだ。そして路線が複雑、確かこの番号のはずと乗っても、ぜんぜん違う方向に行ってしまう。

方向音痴の上に、言葉の問題もあったし、当然毎日のように学校は遅刻!私が時間に現れないと、他の学生たちから「今日も彼女はバスを間違えたに違いない。」と言われるようになってしまった。

ある日は、乗ったバスがどんどん田舎の方に、さらに山の方に来てしまった。降りるにも場所がわからず、どうしようと考えているうちに、乗客が私一人になってしまった。これはヤバイと思い、次で降りたが人はいないし、道もわからない。仕方なく、反対側に立って帰りのバスが来るまで待って、ようやくソウル駅に帰ってきた。 ほんとにバスには泣かされた。でも、今は良い思い出・・・。今は綺麗に便利になっているはず・・。 

(上の写真の中央のピンクのチマ・チョゴリを着ているのが私。プレゼントされたもの。)

あちらにいる間に、日本から韓国を訪問していた在日韓国人の高校生にあった。彼女の言葉が今も心に残っている・・・。「日本にいて、韓国のことを悪く言われると腹が立つ。でも、韓国に来て、日本のことを悪く言われるのも腹が立つ。私はいったい何人なんだろう。」と・・・。少しだけだけど、わかるような気がした・・・。

                                                      To be continued

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