イエス・キリスト・聖書

2009.06.21

あなたは・・・

先日、星野富弘さんの詩画絵はがきを買いました。いつも、彼の詩には励まされます。1946年生まれ、中学校の体育の教師になるが、事故で手足の自由を失う。闘病生活の中で、生かされている事の感謝と喜びを絵や詩を書いて表すようになり、1973年頃から書き始める。

その中の一枚ツルバラを書いたもの。タイトルは「当てはずれ」。 *"あなた"は神さまの事。

あなたは私が考えていたような方ではなかった

あなたは私が想っていたほうからは来なかった

私が願ったようにはしてくれなかった

しかしあなたは私が望んだ何倍ものことを

してくださっていた。

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写真は、仕事の帰り道に咲いていた額あじさい。もうすぐ、あじさいの季節も終わる。今日は雨、暫く梅雨らしい気候になりそう・・・。人からはうっとうしがられるこの時期に、美しく咲く花もあり、真夏のギラギラした太陽の下での、嬉しそうに太陽を見上げて咲く花もある。

其々に美しい。

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2009.06.18

遊び

以前、買ったタンブラーで遊んでみました。6月になってタンブラーも衣替えです。PCで色々遊んでいるうちに、出来上がった洋服は何と5種類にもなってしまいました。

4-5月は、桜の季節。

Image157You have turned for me my mourning         into dancing;You have put off my          sackcloth and clothed me with gladness, 

                Psa.30:11

あなたは私のために、                         嘆きを踊りに変えてくださいました。                  あなたは私の荒布を解き、                        喜びを私に着せてくださいました。

                  詩篇 30:11

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今は、"God is good"神さまは素晴らしい,     "Never Alone"決して一人じゃないよ,      "Growing in the Lord"主にあって成長する、   "Love one another"互いに愛し合いなさい、    "Fall seven times and rise again"七転び八起き     - これ聖書の中の言葉ですよ(箴言24:16)。

などなど、色んな短い言葉のプリント。

   

     

Image159 7-8月はひまわりの季節 だから、元気に"Rejoice in the Lord always!"いつも主に会って喜んでいなさい!,"Sing unto the Lord a new song!" 新しい歌を主に歌え!に着替えます。

暑さに弱い私には、これも暑さ対策。。でも、涼しい所で飲むカフェラテは、やはり最高!笑

   

まだ、ありますよ・・・。笑

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2009.06.06

神さま、私のダニといつも一緒にいてください???

June_09_17 先日、ある宣教師と日本語 での祈りについて話していました。話していたフレーズは「神さま、・・・と、いつも共にいてください。」と言うものでした。彼女は、「じゃ、これを・・・を置き換えたら、“神さま、私のだんなといつも一緒にいてください。”となるんですね。」と、聞いてきたので、「“だんな”って何処から学んだの?」と聞くと、子供が幼稚園に行っているので、そこで出会うお母さん達から教えてもらったらしい。

「祈る時には、“主人”とか本人の名前のほうが良いんじゃない?」等と話していると、彼女は“だんな”の事を間違えて“ダニ”と言ってたとの事。ダニの意味を知って大笑いしたそうです。そこへ、ご主人が入ってきたので、「神さま、私のダニといつも一緒にいてください。」と笑いながら繰り返していました。

言葉って、難しいけど面白いですね。以前にも書いた事がありますが、「楽しい、面白い」と言いたかったのですが、“fun”と “fan”を聞き間違えた人が、“扇風機”と教えたようで、「ああ、楽しい~」と言う所を、「ああ、扇風機~、扇風機~」と言っていたとか・・・。

「かわい~!」と言うつもりで、「こわい~」とニコニコしながら言っていたひともいた・・。それに負けないくらい私も面白い英語を使っていたでしょうが・・・。

彼女に面白い日本語の本“宣教師Gの語録”を書いたら・・と薦めた私でした。こんな楽しい間違いは、良いですが、くれぐれも気をつけないと・・・。

             

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2008.04.01

人生の監督は・・・

ヒルマン監督・・・2006年、野球日本シリーズに優勝した、北海道日ハムの監督。「シンジラレナ-イ!」と言う、彼の優勝決定後のコメントが有名になってしまいました。

実はヒルマン監督は、クリスチャンです。海外からの選手の中には、クリスチャン・アスリートは多くいますが、彼は自分の信仰をはっきりと言い表しているかたです。

私も宣教師の友人から、彼の事は聞いていたのですが、ハーベスト・タイムのメルマガで、ヒルマン監督が「私の信条」と言うトラクト(パンフレットとか小冊子のような物)を出していると言うことをしりました。

その中で、ヒルマン監督は、監督の仕事を説明しながら・・・

「監督にとって、自分のチームの選手たちをよく知っておくことは大切なことです。選手たちの長所、弱点、またそれぞれのポジションで彼らが最高の力を発揮できるように、どう助けたらよいかを知っておかなければなりません。

人生においては、全ての人の監督にあたるのは、全能で力強い、生きた神です。神は私たちが神との関係を持つようにと私たちを造り、私たちのことを何もかも知っています。私たちには弱いところがたくさんあるにもかかわらず、神は私たちを愛しています。

神は、2000年以上も前に、神の子であるイエス・キリストをこの世に送って、ご自分のことを私たちに知らせてくれました。それは私たちに、永遠のいのちという贈り物をただで与えるためだったのです。

神の祝福がみなさんの上にありますように。 

 トレイ・ヒルマン」

彼がクリスチャンだからといって、優勝するわけじゃありません。彼は自分の生涯に於いて、良い時も、うまく行かない時も、「人生の大監督」であるイエス・キリストの指導のもとに歩き、そして、彼を支えている神様の愛を人々と分かち合いたいという思いを持っているんですね。

読みながら、とても嬉しくなりました。

ヒルマン監督のこれからの歩みも、さらに祝福され、神様の素晴らしさが彼を通して表されますようにと祈ります。

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20061113_005 

            

         

        

        

                

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2008.03.04

Footprints in the sand

この写真を見たとき、ある人を思い出した。もう20年程(?)前のこと、夏の間だけ英語を教えるために 、アメリカから大学生が来ていた。彼女は日本を去る日に、小さな壁掛けを私にくれた。そこに書かれていた詩がFootprints in the sand - 砂の上の足跡と言う詩でした。読んだ時すごく感動した事を覚えています。

しばらくして、日本でも良く目にするようになりました。作者についてはいろいろ言われていますが、確定ではないのでUnknownとさせていただきます。

                       J0289487_5                                              

ある晩、ひとりの男が夢を見た。

主と共に浜辺を歩いている夢だった。

空を見上げると、彼の人生で起きた

いろいろな場面が映し出されていた。

夫々の場面と平行して、砂の上を見ると

二組の足跡があるのに気がついた。

一つは私ので、もう一つは主のもの。

最後の場面が映し出された時、

彼は振り返って、砂の上の足跡を見た。

すると、彼の人生の途中で、

足跡が一組しかない時が

何度もあることに気づいた。

さらに気づいたことは、

その時は、彼の人生で最も辛く

悲しい時であったのだ。

困惑して、彼は主に尋ねた。

「主よ、私があなたに従うと決心したら、

あなたは、終わりまで

私と共に歩くと言われました。

それなのに、私の人生の一番困難な時、

一組の足跡しかありません。

私が、あなたを最も必要としている時に、

なぜ私を見捨てられたのですか。

主は答えられた。                                     

「私の大切な、大切な子よ、

私はあなたを愛し、

決してあなたを見捨てない。

あなたの苦難や試練の時、

あなたが見た、只一組の砂の上の足跡は

私があなたを背負って行ったものです。」

         (私訳) 

 

   あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。

   あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。

   わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。

   わたしは背負って、救い出そう。

            イザヤ46:4   J0400717_2

                            

                   

                              

英語の詩は続きにあります。

                           

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2007.12.06

他人は変えられないけれど・・・

 

他人(ひと)は変えられないけど、自分は変われる!―女性が人づきあいで悩んだら読む本   他人(ひと)は変えられないけど、
 自分は変われる!

  著者:丸屋 真也
  販売元:リヨン社

随分前から、読み始めていたのだけれども、ようやくって感じで
感想をまとめました。

タイトルにもあるように、“他人は変えられない、変えられるのは
自分だけ
”、だから、他人を変えようとしている間は、何も変わって
行かない。“自分が変わりたい”と思うことが、スタートラインに立
つこと。

同時に変わりたいと思う気持ちは、人に受け入れられる為ではなく、
自分が自分として、自分の人生を生きるため必要なのだと思う。

聖書が、自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさいと言う
ように自分を正しく愛し、受け入れること無しに、隣人と正しく接す
る事は難しい事と思う。

            

いろんな箇所に散らされている言葉の中で、私なりにKey Word
を挙げてみました。

1.良い依存悪い依存

「すべての感情や、行動の責任は、自分にある。」と著者は言い
切る。もちろん癒しや解放が必要な場合もあるが、ここで言って
いることは、自分の行動の責任を親や、他の人が取らないよう、
教えている。これは悪い依存。

自立は、人に頼らず何でも自分でやることではない。それは孤立。
又、経済的に独立している事は一つの条件だけれども、それだけ
ではない。

本当の自立は、自分で出来ることは、自分でやり、自分の限界を
超えた所は、他人の助けを借りることができると言うこと。つまり、
他人との良い人間関係を築くこと。こちらは良い依存の例。

         人は種を蒔けば、              J0401288
  その刈り取りもすることになります。

        ガラテヤ6:7

     for whatever a man sows,
     that he will also reap. 

            Gal.6:7

2.YesNo

J0386108_1 本当の自立は、正しく、Yes,Noが言える
 こと。言い方も学ばなければいけない事だ
 が、No should be No ! Yes は Yesである
 べきなのだ・・・。
 自分のバウンダリー(境界線)をしっかり
 持つことが大切。


(1) Noが言えない人。
    Noが言えなくて、人の仕事を抱え込んだり、
        Noと言うことによって、相手を怒らせてしまう
         のではないかと、自分が受け入れら
れる為に、
        相手に無理に合わせたりしてしまい疲れ果てる。(2)のような
         タイプの人に対しては、特に難しい。

(2) 相手のNoが聞けない人。
    他人がNo と言った時、見解の違いという事がわからず、
    自分が否定されている気になって怒ったり、相手が境界
    線を引こうとしているのに、強引に支配しようとする。

(3) Yesが言えない人。
    他人に無関心で、手を差し伸べない。自分の興味のある
    ことしか考えない。職場で皆が忙しくても手伝おうとしな
    いので、周りがストレスを感じるが、本人は気がつかない。     

(4) Yesが聞けない
    人に助けを求めることができない。又、必要なのに人
    からの申し出を受け入れることができない。責任感が
    強いようではあるが、人が助けようとしても、全部、自
    分でやろうとして、疲れてしまう。自分流を貫くタイプ
    なので、それを邪魔されると、感情的になり怒る。

これらはの4つは、すべて必要なことでもある。例えば、子供
が問題を起こした時、親がいつも解決してやっては、子供は
解決の仕方を学ばない。しかし、本当に助けが必要な時も
ある。バランスが必要、すべての人が、大人も子供も探りな
がら、学びつつ歩んでいるのではないだろうか。
                                 

だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、        
『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。
それ以上のことは悪いことです。

         マタイ5:37

"But let your 'Yes' be 'Yes,' and your 'No,'  'No.'
For whatever is more than these is from the evil one. 

            Matt.5:37

4.特定された問題本当の問題

 特定された問題とは、現実に症状が現れているもの。
  例えば、摂食障害の娘さんは、現実に食事を食べられ
  ない問題がありますから、それに対応しなければなら
  ない。しかし多くの場合、親子の関係や、家族の問題
  などが本当の問題である。ですから、
本当の問題を扱
  いながら、特定された問題に係わらなければならない。

最後に著者は、自分のセルフイメージは、子供の時に形成され、
生活に一部のようになってしまっているので、簡単には変えら
れないが、エキササイズのように、毎日意識していくことの大切
さを告げている。その中のいくつかを挙げると・・・。

(1) 「自分には価値があると認める。」
  一人ひとりユニークな存在だからこそ、それぞれに
  価値がある。

 _021_1                 わたしの目には、あなたは高価で尊い。
    わたしはあなたを愛している。

       イザヤ43:4

Since you were precious
    in My sight
You have been honored,
                 And I have loved you;

                      Isa.43:4




(2) プラス思考で考える。
  人間は相対的な存在である。同じものを見て「まだ半分ある。」
  と考える人もあれば、「もう半分しかない」と思う人もある。その
  人がどのように見るかで、異なった評価が出る。そして人は、
  その思いによって、感じたり、行動するのだ。

  What he thinks is what he really is. Prov.23:7 (TEV)

    彼の思う事が本当の彼 となる。だから、思考を鍛えることは 、
  とても大切なこと。

(3)良いグループ、集団に属する。
  ひとりで悩まないで、カウンセリングなどに行くことはもちろん
  だが、趣味のグループや、友人たちなど、お互いを尊重しあ
  うような、良いグループに属し、時間をかけて付き合い、自分
  の財産にしていく。

(4)ストレス・マネージメントを身につける。
  映画を見たり、散歩をしたり、おいしいものを食べたり、自分
  の好きなことで、普段からストレスをかわす方法を身につけ
  ておくことは良い。

以上、私の独断的なまとめである。著者は、臨床心理学博士で
あり、またクリスチャンで牧会学博士でもある。ここに書き込ん
だ聖書のことばは、読みながら私の心に浮かんだものを、書き
込んだので、著書とは関係ありません。


    

 

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2007.05.06

You are too expensive !

言葉って楽しい・・・。初めて会った人と交わす言葉。懐かしい人と話す言葉。ブログのように全く不特定多数の、又どういう価値観や背景を持っているかもわからない人たちに向けて発信する言葉・・。自分の思いを人に伝えていく大切な手段の一つ・・。

同時に言葉って恐い・・・。言葉で人の心を傷つけてしまったり、傷ついたり、言葉が足らずに誤解を招いたりもする。日本語であってもよく起こることですが、これが英語などだったりすると全く異なった意味になってしまうから恐い・・・。

随分前のこと、アメリカ人の男性と日本人の女性2人(一人は私)で話していた。すると、この男性が「コンビニに何か飲み物を買いに行くので、買って来て欲しいものある?」 と聞いた。

すると、一緒にいた女性が言った。“Would you buy me?”

アメリカ人の男性は、一瞬目が点・・。私達も「えっ?」と・・。次の瞬間 “No ! You are too expensive !” そして、3人大爆笑!

彼女は “Would you buy me __(例えば ice tea)?” 「私にアイスティ-を買って来てくれない? と言うべき所を「私を買ってくれない?」と言ってしまったのだ・・。彼の「とんでもない!君は高すぎて買えないよ!」という切り返しのうまさ!

失敗からの方が、うまく行ってる時より学ぶという事は、英語に関しても同じですね。私も彼女もこの使い方は決して忘れることがないでしょう。

2006526

 

 

 

 

 

 

 

実は聖書も私達は「高価で尊い」とあります。 expensiveじゃなく preciousという語が使われています。大切な存在という意味ですが。

イエスが十字架で死なれたのは「私達を贖うためであった」と、言われていますが、贖うとは「買い戻す」という意味です。神さまから遠く離れていた者を、自分のもとに帰すための代価はイエス・キリストの命でした。

イエスは“No, you are too expensive!”とは言わなかった。(あの時、あのアメリカの男性に、「OK!」って言われても困るけど・・)それどころか、「私の命と引き換えにしても、あなたは私にとって大切な存在です。」と十字架に架かられた。 You are so precious!と言っている・・・。

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今日たまたま、“Too expensive!”と言う話をしていて、昔のことを思い出してしまいました。

 

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2006.11.16

ゴスペル O Come All Ye Faithful

クリスマスの歌、第2弾は、「神の御子は今宵しも」、
英語で“O Come All Ye Faithful”という曲です。
日本語訳は伝統的な賛美歌から・・。

  
1 神の御子は 今宵しも 

  ベツレヘムに 生まれたもう

  いざや 友よ もろともに

  いそぎゆきて 拝まずや

  いそぎゆきて 拝まずや

 

1.O come all ye faithful

    Joyful and triumphant

    O come ye, O come ye to Bethlehem

    Come and behold Him

    Born the  King of  angels

 
       O Come let us adore Him

       O Come let us adore Him

       O Come let us adore Him

       Christ the Lord.

 

                               Latin hymn,18th century

                               English translation by Frederick Oakeley

Cehch330_1               

 

 

 

 

 

 

 

 

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、

  羊飼いたちは互いに話し合った。

  「さあ、ベツレヘムに行って、

  主が私たちに知らせてくださった

  この出来事を見て来よう。」   

 
     ルカ2:15         

10年位前に、最初にイスラエルに行った時、ユダの荒野を通り抜けて、エルサレムに行ったことがありました。

途中でベドウィン(定住地を持たないで、家畜などを飼いながら移動して生活している人たち)のテントが見え、とっさに走るバスの窓からシャッターを押しました。

その時に、この聖書の箇所を思い出しました。羊飼いたちが、野原で夜番をしながら羊の群れを見守っていた時、天使が現れ、救い主がベツレヘムで生まれたことを告げたのです。(ルカ2:8-14)

20061100_041_1                    

 

 

 

 

 (ユダの荒野とベドウィンのテント 1995・12)

ベツレヘムは、「パンの家」という意味と言われていますが、イエスは「神のパンは天から下ってきて、世に命を与えるものだからです。」「わたしは命のパンです。・・・」(ヨハネ6:33-35)と言っています。

  
わたし達が行った時、ベツレヘムはお祭りムードでした。実は、ベツレヘムがアラブ人の自治区と決定された時でした。町中パレスチナの旗と、故アラファト議長の写真が張られていました。

  
20061100_078        

 

 

 

 

               
 (ベツレヘム 聖誕教会前のお店  1995・12)    

此処にはアラブ人クリスチャンも多いので、もちろん、パフォーマンスでしょうが、この年のクリスマス・イヴにベツレヘムの聖誕教会の礼拝に、故アラファト議長も参席するということでした。

現在のベツレヘムは、イスラエルのバスでは入れないようです。だから、ツアーコースから外れることも多いとか聞きました。

アラブ人のバスに乗り換えれば大丈夫とのことですが、それも大変だし、危険なこともあるので、観光客は行かないことも多く、みやげ物店は経済的にも苦しい状況だとか・・・。

近年にも、イスラエル軍の戦いで、テロ組織のハマスがこの教会に立てこもり建物の一部を破壊したことが報道されていた記憶があります。

歴史的建造物が、破壊されることは残念です。

でも、もっと大切なことは、美しく飾られた建物ではなく、イエスが生まれ置かれた飼い葉おけのように、汚れていても傷ついていても、イエスはわたし達の心の中に生まれることを望んでおられると言うことです。わたし達と共に人生を歩んでくださるために・・・。

この地に平和が来るように・・・・。

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2006.10.21

シナイ山は何処?

先日、NHKの番組で旧約聖書の出エジプト記に記されている、“イスラエルのエジプト脱出は本当にあった事か?”を検証すると言うのを見た。

http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/69.html 

映画「十戒」を最初に見たのは、私がクリスチャンになる少し前のことでした。その頃、自分がその聖書に記述されている場所に訪れるなんて、想像もしませんでした。

以前、4日間でカイロ、ギザのピラミッド、シナイ半島(ジュベル・ムーサ・・モーセの山)に行き、アカバ湾沿いに、進みイスラエルのエイラートに入る。残り4日で(機内も入るので実は3日)で、イスラエルを観ると言う、バスの運転手さんも「こんなのは始めて!」と言うような超強行スケジュールでした。

イスラエルは2回目で、今回の目的はシナイ半島ですが、折角エジプトまで行くなら、やはり少しでもイスラエルに行きたいと思い、このツアーに参加しました。それと旅行会社の激安ツアーだったので、ホテルや食事にはこだわらず、これにしました。

先日の番組では、このジュベル・ムーサは聖書のシナイ山ではなく、歩いた道のり、周辺の地名・・などからして、多分別のところであろうと言われていた。

本当のシナイ山は何処だろうか?しかし正直、何処であるかに私は拘っていない。

私は、史跡などを旅する時、あまり限定された場所にはこだわらない。もちろん、それらを見るのは好きですが、むしろ、その地域の自然、空気を感じたいのです・・。

だから、イスラエルに行っても、大きな教会の建物より(それは歴史的建築として素晴らしいものですが)、ガリラヤの湖畔を歩くとかの方が、どちらかと言うと好きなのです・・・。

2006900_001_25 スエズ運河を渡って、シナイ半島にはいると砂漠が広がる。途中アイン・ムーサ(モーセの泉・・メラと言われている)にたちより、其処をしばらく行くと、次はあたり一面、ゴツゴツした岩山に入って行く・・・。

 

イスラエルがシナイ半島を占領していた時期があり、その頃はこの辺の人々はテルアビブなどに働きに行くこともでき、生活も楽だったとか・・。だからこの土地の人々はヘブル語も話せる人が多いとの事。エジプトに返還されて、皮肉なことに彼らの生活は苦しくなったとの事・・。

舗装された道路、冷房つきのバスの窓から何処までも続く荒涼とした岩山を見て、イスラエルの民が神やモーセに文句を言いたくなった気持ちを、想像はできても、本当に理解することは難しいだろうな~と思ったことです。

  
2006900_001_23 この時は、まだデジカメではなかったので、写真を再度携帯で撮ってみました。

シナイ山の頂上から日の出を待つ・・。この山の上に信じられないほどの人がいます。いろんな国から来ているようです。

突然、ひとつのグループが歌いだしました・・Oh, Lord, my God, when I in awesome wonder (輝く日を仰ぐ時、月星眺むる時・・・ 私もつられて歌ってしまいました。)

 

2006900_001_9_2 山を降りながら、登った山をふり返る・・・。

急な階段の道もあるが、私達はなだらかな道を登った。

ラクダも途中までは行くので、ツアーメンバーで来ていた80歳近いお婆ちゃんは、ラクダに乗って来ていた。さすがに、最後の頂上までの急な階段は凍っている部分もあったので、止められて残念そうだった。

 

2006990 「ラクダはラクダ(楽だ)!」と言いながら、客を招いていた。日本人観光客から教わったのか・・・。

でも、ラクダ自身は「疲れた!」と言っているようだった。 笑

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2006.09.16

「目からうろこ」

普段、何気に使っている言葉が、実は聖書から来ている事がある・・。

以前、「七転び八起き」とか、紹介したことがあります。

今日、お伝えするのは「目からうろこ」・・・。今まで、分からなかった真理が分かる・・と言う意味。実はこれは聖書の使徒の働きと言う所に出てくる。

そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、

手をサウロの上において言った、

「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、

あなたが再び見えるようになるため、

そして聖霊に満たされるために、

わたしをここにおつかわしになったのです」。

するとたちどころに、サウロの目から、

うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。

 
    使徒9:18,19a

   
J0262216

 

 

ここに登場するサウロ(後のパウロ)と言う人は、当時の最高の教育を受け、ユダヤ教徒として厳格に律法(ユダヤ教の宗教的規則)を守りって来た人でした。

彼は、神を求め真理を求めてはいたけれど、神が人として私達のところに来られ、私たちを愛し、私たちの罪のために十字架にかかるなんて信じられなかった。

実は聖書にはいろんな箇所にその事が書かれているのだが(例えばイザヤ9:1~7、53章、ミカ5:2、他)彼の神概念には自らが犠牲になって人を愛する神というものはなかった。

彼は、イエスを信じる者たちを捕らえようとダマスコ(今のシリヤ)へ行く道で天からの光と声に出会う・・。彼はその時目が見えなくなるが、その後でアナニヤという人が神さまから遣わされて、彼のもとに来て祈ると、目からうろこのようなものが落ち、目が見えるようになった。

その後、彼はイエスを伝えるようになり、いろんな教会にあてた手紙を書き、イエスのキリスト(救い主)であることを伝えるようになる。

これが、目からうろこ  の話しです。

現代で、目からうろこのようなものが落ちると聞けば、コンタクトレンズが外れたかなと思いますが、それでは目が見えなくなってしまいます。笑

でも、コンタクトに色がついていたり、曇りガラスのようだったらどうでしょうか?そのフィルターのようなものを通してみると、全部その色に染められています。

フィルターとは先入観であったり、偏見であったり・・・人によって異なると思いますが、事の本質が見えなくなってしまう。

聖書の他の箇所には、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。 (ヨハネ9:41 口語訳) ともありますが、パウロが一旦見えなくなったように、見えていない自分を認めるとき、いろんなフィルターが取り除かれ、広い視野が与えられるのかもしれない・・。

いろんな人との出会いを通し、聖書の言葉、神さまとの出会いを通し、さらに目からうろこの歩みをしていきたい・・。

God bless you !

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