生き方について

2008.04.01

人生の監督は・・・

ヒルマン監督・・・2006年、野球日本シリーズに優勝した、北海道日ハムの監督。「シンジラレナ-イ!」と言う、彼の優勝決定後のコメントが有名になってしまいました。

実はヒルマン監督は、クリスチャンです。海外からの選手の中には、クリスチャン・アスリートは多くいますが、彼は自分の信仰をはっきりと言い表しているかたです。

私も宣教師の友人から、彼の事は聞いていたのですが、ハーベスト・タイムのメルマガで、ヒルマン監督が「私の信条」と言うトラクト(パンフレットとか小冊子のような物)を出していると言うことをしりました。

その中で、ヒルマン監督は、監督の仕事を説明しながら・・・

「監督にとって、自分のチームの選手たちをよく知っておくことは大切なことです。選手たちの長所、弱点、またそれぞれのポジションで彼らが最高の力を発揮できるように、どう助けたらよいかを知っておかなければなりません。

人生においては、全ての人の監督にあたるのは、全能で力強い、生きた神です。神は私たちが神との関係を持つようにと私たちを造り、私たちのことを何もかも知っています。私たちには弱いところがたくさんあるにもかかわらず、神は私たちを愛しています。

神は、2000年以上も前に、神の子であるイエス・キリストをこの世に送って、ご自分のことを私たちに知らせてくれました。それは私たちに、永遠のいのちという贈り物をただで与えるためだったのです。

神の祝福がみなさんの上にありますように。 

 トレイ・ヒルマン」

彼がクリスチャンだからといって、優勝するわけじゃありません。彼は自分の生涯に於いて、良い時も、うまく行かない時も、「人生の大監督」であるイエス・キリストの指導のもとに歩き、そして、彼を支えている神様の愛を人々と分かち合いたいという思いを持っているんですね。

読みながら、とても嬉しくなりました。

ヒルマン監督のこれからの歩みも、さらに祝福され、神様の素晴らしさが彼を通して表されますようにと祈ります。

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命のビザ・・杉原千畝

「私たちは、彼らが私たちの為にしてくれたことを決して忘れることはないだろう。」

以前、オーストラリアに旅行した時、シドニーにあるユダヤ博物館に訪れ、ホロコーストの記録フィルムを見ました。そのフィルムの最後に、シンドラーらと共に杉原千畝さんの顔が大きく写されこの言葉が語られました。同じ日本人として嬉しい気持ちで、博物館を出てきたことを覚えています。

ここ何年かの間に、「命のビザ」と題して杉原氏がリトアニアのユダヤ人を救った出来事が報道されてきました。最近も麻生外務大臣がここを訪問してきて、杉原氏の行為を日本人として誇りに思うと、テレビのインタヴューで話していました。

前から興味があって、彼について調べていたので、それらのいくつかを分かち合いたいと思います。

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2006.09.16

ハワイの日系人

今日(書いているうちに昨日)、これを見ようと思ったわけではないが、たまたまテレビでハワイの日系人の歴史について語っているのを見た。それを見ながら、もう、20年近くも前に、ハワイに行った時の事を思い出していた。

私の友人はハワイの日系3世・・。今はオーストラリアにいるが、彼女は結婚してすぐに日本に宣教師としてきた。彼らの三人の子供は日本で産まれた。回転寿司へ行くと、いつも、長男は卵焼き、次男は何も入っていない、ご飯だけの海苔巻き(自分で頼んで作ってもらっていた)、一番下の女の子は納豆巻きを注文していたっけ・・・。

彼らがハワイへ帰国している時に、誘われて一度だけハワイに行った。それまでハワイにはあまり興味はなく、芸能人たちが遊びに行く所と思っていた。

 
ご主人が「妻の本当の姿を見てもらいたくて・・・。」と言っていたが、最初はその意味が良くわからなかった。しばらくして、彼女がほんとに生き生きと良くしゃべることに気づいた。

日本にいた時は、言葉の問題もあったのだろうけど、どちらかと言うと静かで、聞き手になっていた。本当はもっと自分の思いを話したい時もあった事でしょう。

その時、彼女のお父さんと話をする機会があったので、ハワイでの日系人の歴史について聞いたことがあった。彼の親達は別の島でサトウキビ農園の移民でした。二世である彼はホノルルに住む退役軍人であった。

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事は、1941年、日本が真珠湾を攻撃したことから始まった。アメリカ在住の日系人は強制収容所に入れられることになった。幸い、ハワイは本土と離れていた為、リーダー的な存在の人々以外は収容所に入れられる事はなかったようだ。

しかし、敵国の移民として差別を受け、軍隊に入っても信用してはもらえなかったと言う。彼らの多くは、アメリカ人として忠誠を示す為、又、自分達の誇りのために、志願して激戦地ヨーロッパに出て行ってドイツ軍と戦った。米軍の中でも最も多くの死者や負傷者を出したとのことです。

彼らの犠牲の上に、今のハワイの日系人の地位がある。私が行った時、ハワイ州の知事は日系人でした。そのほか、文化・教育においても多くの日系人が貢献していた。

決して戦争を美化するつもりはない。戦争がなければ、この時、多くの命が死ななくても良かったし、ここまで頑張れる日本人の2世達は、戦争でなく仕事で頑張っても、今のような地位を得たことであろう。

TVの中で、部隊に加わり、戦地に行った経験を持つ老人が「戦争で殺されていった友人達のことを思うと今も胸が痛む・・。戦争はすべてのものを滅ぼします・・。」と番組み当てに来た手紙が最後に読まれた。

ハワイに滞在していたある日、一人でバスツアーに参加した。島を一週して、最後のストップは、パールハーバーでした。そこには日本からのツアーグループと、韓国からのグループ、もちろん多くのアメリカ人達もいました。

外にいた日本人のガイドは「日本は謝ってばかりいる・・・。」と言っているのが聞こえてきました。

資料館の中に入ると、韓国のグループが「イ サラムン(この人が)ヤマモト・・・」と言って日本がどのように攻撃したかを地図を指差しながら説明していた。

気のせいかもしれないけれど、アメリカ人の視線も感じながら、とても複雑な思いで帰って来たことを思い出しました。
          
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And let the peace of God

   rule in your hearts,

     Col.3:15a
 

 キリストの平和が、

     あなたがたの心を

    支配するようにしなさい。

                    コロサイ3:15a

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2006.04.29

緒方貞子という生き方

  緒方貞子という生き方 

黒田龍彦著: KKベストセラーズ

“小さな巨人”・・ それが海外のメディアが緒方貞子さんにつけた、呼び名でした。その他、彼女につけられた名は“日本のマザー・テレサ”“難民救済の母”“ラスト・リゾート(最後の頼み)の女性”等・・。99年にはユネスコ平和賞を受賞した。 国連難民高等弁務官として、カンボジア、ミャンマー、サラエボ、ボスニア、ソマリア、ルワンダ、ティモール、中南米などの紛争地域を防弾チョッキを着て歩き回った。アフガニスタンでの首相特別代表としての働きは、記憶に新しい。

私も、そんな緒方貞子さんを日本人として嬉しく、誇りに思うと同時に、彼女に生き方や、その土台になっているものを知りたいと思っていました。

 

その時、すぐに読む機会がなかったが、最近これを見つけて読んだので、少し感想などをまとめていようと思ったわけです。

著者が引用していた緒方さんの言葉に次のようなものがあった・・。

「難民問題は"心はあたたかく、頭はクールに"です。相手を思う気持ちは大事ですが、それだけで政策を行ってはいけません。民間には柔軟性のある強みがあります。国連や政府機関は規模も違うし、建前やバランスが必要になりますが、グローバルな取り組みができます。どちらにも組織の利点と限界はあります。」

これは、子供をそだてる時にも、又、リーダーとして立つ人たちにも言えることではないでしょうか。同情したり、その場限りの助けでは、本当に問題は解決しない。そして、其々の長所、限界を知り、それを引き出したり、助けたりすること。フー(ため息)・・簡単にできることではないですよねー。

「慈善援助と言っても、一方的にただかわいそうだから助けてあげるのではなくて、大切にすべき人間の尊厳と言うものをまっとうするために、あらゆることをして守らなくてはいけないと思います。」

彼女が長年にわたって唯一求めていたものだ。

彼女が、ソマリヤの難民キャンプを訪れた時、栄養失調でやせ衰えた赤ん坊を抱いた母親たちに取り囲まれ、せめて子供たちは助けて欲しいと懇願された。彼女は拳で車の屋根を叩き、「私が許すまで二度と尊厳と言う言葉は使わないで。ここには人間の尊厳のかけらもないわ。!」最低の人権すら守られていない状況に怒りを爆発させた。

だからと言って、彼女の難民問題への姿勢は、決して悲観せず、焦らず、着実にこなしていく。彼女の生き方そのものだった・・と著者は評する。

私が彼女をテレビで見て、感じたことは"自然体"であること、難民キャンプで見せる母親のように優しいまなざしと、それとは対照的な、国連や政府の会議などで見せる毅然とした態度と発言。

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緒方さんも、多くの体制の厚い壁に出会ったようだ。アジア初、しかも女性の新弁務官を、周囲は最初冷ややかに見ていたと言われる。本部スタッフに緒方さんの指示、要求を理解してもらう為に、座り込みのハンガーストライキまでしたことがあったとのこと。この小さな日本女性の何処にこんな力が潜んでいるのだろう・・回りの人たちは思ったかも知れない。

彼女の働きが評価され、95年にフィラデルフィア自由メダル(世界平和に貢献した人に贈られる賞)に選ばれた。その時緒方さんは「私は単なる代表に過ぎない。この受賞は、国連難民救済の職員5000人の勇気を讃えるものです。」と答えた。ユネスコ平和賞の賞金1600万円は、アフリカの難民の子供たちの教育の為の基金を設立する為に使われた。日本政府からも何度も外相にとの打診があったが「難民救済の仕事を置いて、行く気はない。」と断り続けた。

この本を読み始めて、最初のパートで、彼女が敬虔なカトリックのクリスチャンであることを知った。テレビに映る緒方さんの言動を見て、もしかしてと思ったこともあったけど、「あー、やっぱり」って思いました。クリスチャンだからこれができると言うのではなく(クリスチャンでなくても立派な人は沢山いる)、考え方の根底に聖書の考えが見えるように感じたことが何度かあったからです。それと、家族特にご主人の理解と協力なしにはできなかったことと思う。神との関係と家族の愛が63歳から新しい使命にチャレンジする支えになったのではないかと思う。

シンガポールのリー・クアンユー上級相は緒方さんを評して、「こういう日本をわれわれは待っていた」と言った。第二、第三の緒方貞子さんが生まれてきて欲しい

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2006.04.24

彼らはそう思っているに違いない

「彼らはそう思っているに違いない・・・。」何についてとか、関係なく、このように感じたことがあるだろうか?

聖書にも似たような記事があります。イスラエルの民がエジプトを出発して、荒野を進み、約束された地がもうすぐそこに来た時、12人の人がその地を偵察に行きました。しかし12人中ヨシュアとカレブと言う2人を除いて、皆口を揃えて告げたことは、「そこは素晴らしい土地だけれど、行くのはやめよう」と言うことでした。

「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」民数 13:33b 

彼らに自分たちがどう映ったか、実際はわからない。実際に彼らがエリコと言う町に行った時は、エジプトに打ち勝って出てきた民として恐がられていたのだが・・・。

でも、わかることは、自分が自分をどのように思っているかと言うこと。自分がイナゴのように見えた。だから、彼らもそう思っているに違いない・・・と言う結論になった。

そこでぶどうが一ふさついた枝を切り取り、それをふたりが棒でかついだ。民数13:23b

19805_001_13 左の写真は、イスラエルの土産のマグネットです。観光省のマークで、2人はヨシュアとカレブを表しています。

私がこれを心に留めているのは、多くの問題は、自分が自分をどのように見ているかということが鍵になっている事が多いように思うからです。

彼らも他の10人と同じように、問題を見たはずですが、わたしが乳と蜜の流れる地を、あなたがたに与えて、所有させよう。 (レビ20:24b) と言われた神さまの言葉のほうに信頼することを選んだから、「進みましょう」と言うことができたのでしょう。

結果的に、彼らは荒野に戻るほうが良いと、自分たちが選んだようになったわけですが、もちろんそこは苦難の連続でしたし、そこでも不満だらけでした。

私が、ここから与えられているメッセージは・・・

時には後退することは必要ですから、すべてとは言いませんが、多くの場合、自分の感じたようにしか行動できない。だから、どう感じるかはどう生きるかに多く影響する。問題はその感じ方が正しいかどうかと言うこと・・。

その人が感じてることが、実際の感情だからそれを否定するつもりはない。それを認めた上で、その感情の根源は何処から来ているかを見てみたい。何かの経験からだろうか、それとも、人から言われたことからだろうか・・。

私自身もそれらの経験などの影響を少なからず受けていると思う。でも、私の中にインプットされた情報が、間違ったものであったらどうなんだろう?実際に聖書が言っている私についての情報は、私が感じていたものとは違っていました。だから、聖書が私についてなんといっているかを受け取り、そこに立ちたいと思ったのです。

私の内に反対した10人と神の言葉に従ったヨシュアとカレブのような2人が居ることを知っている。私の内の古い人が死んでいく時、神さまの約束している歩みを一歩一歩経験していくのだろうと思っている。そして、荒野の旅も、すべてを益と変えることのできる主の手の中にあるのだ・・

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2006.04.03

七転び八起

「再チャレンジハンドブック」区役所で見つけた、横浜市が出してるパンフレットで、サブタイトルは・・意欲ある経営者の再挑戦を応援する都市、横浜を目指して・・と言うものでした。

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創業者が事業に行き詰った時、又は失敗した時どうしたらよいか・・・。再挑戦をして成功した事例を上げています。

シダックス(年商1500億円)ファンケル(900億円)などの例を挙げて、これらの創業者に共通していることは、過去に事業に失敗した経験がある人たちであることを述べています。

アメリカでは倒産した企業経営者が、再度企業経営者となっているのは47%に対して、日本は17%しかないそうです。

借金とか投資の問題などもあるのですが、それらの専門的なことはちょっと置いといて、・・・事業には失敗は付きものであり、失敗を糧に再度良い事業を立ち上げればよいと言う気運がアメリカには出来上がっていると思う・・・と著者は言っていました。

このパンフ良いこと言ってるんだけど、横浜経済局が出しているにしては立派過ぎ・・。写真もたくさん載せて・・、再挑戦支援にまわした方がいいと思いました。

正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。

                   箴言24:16

For a righteous man may fall seven times

                  And rise again, 

                   Prov.24:16

「七転び八起き」は聖書の考えと言ったら、皆さんは信じるだろうか?
聖書では、七は完全数、八は新しい始まりを表している。だから七は実際の七回ではなく、いつでも、どれだけ倒れても、又、立ち上がり、新しい始まりがある・・という意味です。You Raise Me Up の歌と同じですね。

聖書の言っている正しい人とは、自分が正しくないとわかって,自分の力で神様のもとに行くことができないが、イエス・キリストの十字架は自分の罪を赦す為と言うことを信じた人のことです。英語のrighteousは「正しい」「義」と訳しますが、義という漢字は羊(イエス・キリストのこと)のもとに我(わたし)がきたものです。羊+我=義。すなわちキリストを信ずる時に、神の前に義とされる、と言うことです。

失敗したら、落ち込むことも又当たり前のこと。落ち込むなと言う方が無理ですよね。失敗した本人が一番辛いんですから・・。でも、自分の経験からしても失敗した時のほうが、成功した時より多くを学んでいることも事実ですね。立ち上がって、進み続けることが大切・・・。進めないほど辛い時は、少し休んだっていいじゃない?

誰かが言ってた・・・

この世に失敗は多くあるけど失敗者は一人もいません。

そして、それらの失敗の多くは成功の糧だと・・・。

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2006.03.17

父の死

唐突なタイトルでごめんなさい。でも、私自身が一番びっくりしています。月曜日の夜、姉から連絡があり、「父が亡くなった。」と告げた時、「えっ!誰が?」と、耳を疑いました。

父は今年89歳、1年以上もリハビリの為、入院してましたから、いつかは・・と覚悟はあったものの、先日会った時は元気で、杖で歩くことができたし、階段の上り下りも練習していました。

「5月には退院したいから、頑張って歩いている・・。」そんな父に、「じゃ、横浜に来る?」と言うと、「行けたらいいな~。」と答えていた。

父が亡くなる時に、声をかけたり手を握ってあげられなかったことは、淋しいけれど、昨年、お見舞いに行った時、父に伝えた事がありました。リハビリに移る前の病院で4人部屋でした。不思議に病室に、父と私の二人だけになった。

「父さんの人生はとても大変だったと思うけど、父さんが、あきらめないで頑張って生きて来てくれたから、今の私たちがあるのよ。本当に感謝してるよ。」 父は黙って、うなづいた・・・。そっと、父の手をとって祈ったら、黙って聞いていた。

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父は自分の実の親を知らない。母親だけは戦地に行く前に合いに行ったそうだが、会うことができなかったそうだ・・。先方にも都合があったのだろう・・・。

以前、父がその事を話した時、彼に神さまのことを伝えたことがある。「人が彼の誕生を祝福しなくても、本当の父、彼に命を与え、彼を愛し、彼の人生を祝福して、この世に送り出してくれた方がいる。その方は、私たちが迎えるならいつも一緒にいてくれる。」と・・・。父は目を潤ませながら、聞いてくれた。

 あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、

    あなたを助ける主はこう仰せられる。・・・・・

      わたしは潤いのない地に水を注ぎ、

      かわいた地に豊かな流れを注ぎ、

      わたしの霊をあなたのすえに、

   わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。  

        イザヤ44:2-3

私がクリスチャンになったとき、父は「もう、自分が何を信じて生きるのか、自分で決めても良い年齢だから、信じたように生きなさい。」と言ってくれた。彼自身も、礼拝にも出たこともあり、信じているとも言っていた・・。

それらの父との時間は、今、私にとって大きな慰めです。

父は、冗談をよく言う明るい人でした。年をとってからは愚痴をこぼすこともありましたが、いつも前向きに事を視る人だったと思います。

もちろん生身の人間ですから、いろいろあったでしょうが、彼は、“自分の人生を立派に生き抜いた”と、そして、“ありがとう”と心から言いたい・・・。

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2006.02.04

今日は結婚式!

J0336437 ・・・と言っても私のではありません。・・・そんなことはわかってるって?^^;

姪の結婚式で愛知県の安城と言う所に行ってきました。キリスト教式だったので、賛美歌を心をこめて歌ってきました。普段、何もしてあげていないので、私にできる事は、これかなと・・・。

職場の同僚など、若い人が多く、とても楽しい披露宴でした。彼らは歌あり、コントあり、雰囲気を盛り上げ、私たち伯母様はひたすら食べた。

2歳になる新婦の姉の息子は、花束を新婦に渡す大役があるので、眠たくても眠れない。きれいな花嫁さんのそばに行きたくて、お父さんの手を振りほどき脱走・・・。

その息子を追いかけて、抱きかかえて連れ帰るお父さんの姿が、何ともほほえましかった。3年前、彼らの結婚式の時、彼は髪にキンキンのラメをチラシ、エレキギターを弾きながら、自作の新婦への愛の歌を歌っていたよなー。もう、すっかりパパでした・・。                       

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この日の司式者は、外人の神父(もどき?)さん。
読んだ聖書は、愛の章と呼ばれる、1コリント13章から、・・・。

  Love is patient and kind;

 It is not jealous or conceited or proud;

 Love is not ill-mannered or selfish or irritable;

 Love does not keep a record of wrongs;

 Love is not happy with evil,

 But is happy with the truth.

  Love never gives up; and its faith,

 Hope, and patience never fail.

 Love is eternal.

          
1Cor.13:4-8 (TEV)

  

   愛は寛容であり、愛は親切です。

  また人をねたみません。

 愛は自慢せず、高慢になりません。

  礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、

 怒らず、人のした悪を思わず、

  不正を喜ばずに真理を喜びます。

  すべてをがまんし、すべてを信じ、

  すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

  愛は決して絶えることがありません。

        1コリント13:4-8


帰りの車の中で、義兄がしきりに、Love is patient and kind, と英語で言っていた?? この英語訳はTEVからですが、個人的には 
すべてをがまんしと言うところを Love never gives up と訳している所が好き・・。もっと、肯定的で明るい感じがする・・・。

 

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2006.01.31

只今工事中・・・

130226012006_1ちょっとピントが合ってないけど、何だか分かりますよね。そう、道路工事の案内・・・。

たまたま道を歩いている途中見かけたもの。道路に面していたので、ゆっくりピントを合わせて撮ることができなかった。残念。私のお気に入りは正面を向いてお辞儀をしているもの・・・。最近は絵の入っているものは少ない。

ご迷惑をおかけしております。只今工事中。ご協力をい願いいたします。

このフレーズが好きなのです。何故なら、人の生き方そのままを表しているように思うからです。私はいつも工事中・・・。工事中でありたい・・・。古い自分が日々壊され、変えられ、新しい自分を建てられ続けたい。

だから、今しばらく(多分・・・いや確実に・・・天国に行くまで・・・)ご迷惑をおかけしておりますが、よろしくご理解とご協力お願いいたします。

もうしばらく、ご辛抱ください・・。というのもあるが、いつまでと言われても困る・・・。やはりご理解とご協力をお願いいたします。

感覚的には、子どもがいっぱい失敗しながら、できるようになる・・。お母さんは、それを見ているけど、手を出さない。失敗して泣いてお母さんの所に行くと、涙を拭いて、「大丈夫・・。できるよ。少しずつね・・・。ちゃんと、ここにいるからね。」 子どもは安心して又挑戦する。

                                              
          あなたがたは、

  古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、

       新しい人を着たのです。

新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、

       真の知識に至るのです。 

         コロサイ3:9,10


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2006.01.29

約束

                             今日、ある方と会う約束をしていた。
               はじめて会う方・・・。J0382593_1
ちょっとドキドキ、少しワクワク・・・。
決して怪しい事ではなくて、オーストラリアに
住んでいる友人が、彼女に私のメールアドレス
を教え、紹介をしていたからだ。

彼女は、黒のコートと大きな緑のバッグが目印、
私は、同じく黒のコートと青と黒のプリントスカーフ・・・。
あの人かな~と思いながら、少し見ていると、
あっちも見ていて、互いに声をかけあった。

「はじめまして・・・」と、会話が始まったが、本当に
初めてのような気がしない。神さまがお互いの人生
にしてくださったことなど分かち合って、あっという間
に時間が過ぎてしまった。又、会うことを約束して、
家路に着いた。

クリスチャンになることは、人生に問題がなくなる
わけではない。でも、それらの問題は全て神さまの
手の中にあり、必ず超えられると約束している。
今までも・・・そして、これからも・・・。

Phnla139
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、

あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。

あなたがたは、世にあっては患難があります。

しかし、勇敢でありなさい。

わたしはすでに世に勝ったのです。

                                            ヨハネ16:33

These things I have spoken to you,

that in Me you may have peace.

In the world you will have tribulation;

but be of good cheer, I have overcome the world.

                      John16:33

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